高校時代は文武両道を貫いた
夏に挑むスキーの女王
陸上女子100㍍(車いすT54)で夏のパラリンピックに初めて挑む村岡桃佳は、パラアルペンスキーで世界の頂点を極めた冬の競技のトップ選手だ。冬季2度目の出場となった2018年の平昌パラリンピックで、アルペン女子大回転座位を制覇。当時21歳での金メダルは日本選手として冬季パラリンピック史上最年少で、1大会5個のメダルも最多。だが、輝かしい成績に安住せず、翌19年春からは東京大会を目指して陸上にも取り組んだ。
▽二刀流で目標実現
当初は東京パラリンピックまでは陸上に専念し、大会後スキーを再開する計画だった。ところが、新型コロナウイルス感染拡大のため、目標の舞台は1年延期。新たな日程では、22年の北京冬季パラリンピックまで約半年しかない。そのため、20年秋から今年の春先にかけては陸上とスキーを掛け持ちする文字通り「二刀流」生活となった。
「このまま東京大会を目指すのか諦めるのか、葛藤があった。でも、アルペンスキーの先輩が、『桃佳ならできるよ』と言ってくれた言葉が支えになった」と感謝する。5月10日に代表内定。「肉体的にも精神的にもすごくつらかったけれど、諦めなくて良かった。この経験は今後の競技人生にも生きてくる」と、真っすぐに前を向く。
▽扉開いたスポーツ
4歳の時、村岡は原因不明の脊髄炎で突然、歩けなくなった。おへそから下に運動障害と感覚障害がある。「車いす生活になったことで、引っ込み思案で殻に閉じこもる性格になった」と自己分析。だが、スポーツとの出合いで新たな扉が開ける。小学校2年生の頃、パラリンピックのバルセロナ大会などに出場した陸上の千葉祗暉(まさあき)氏が主宰するパラスポーツキャンプに参加。「レーサー」と呼ばれる陸上競技用車いすのスピード感に魅了された。
3年生になると、車いすスポーツに取り組んでいる仲間に誘われてスキーも開始。やがてスキーに専念するが、11年の全国障害者スポーツ大会では陸上の100、200㍍で2冠に輝いた実績を持つ。「スポーツによって世界が広がり、自分を認められるようになっていった」とほほ笑む。
▽古里知ってもらう
自己ベストは16秒34。スタートで鋭く飛び出せる半面、トップスピードまでの加速には改善の余地がある。課題を克服するため、筋力トレーニングを徹底。まずは、16秒台中盤のタイムを出して決勝進出を目指す。「挑戦する姿を通して、見る人に何かが伝わったらうれしい」と願う。
出身地である深谷への思いも胸に秘める。「地域のつながりが強く、温かい場所。深谷の認知度が上がる一つの切っ掛けに私がなれたら」。国立競技場から古里へ、希望を届けるつもりだ。
正智深谷高校・稲葉茂文教諭
「力を出し切って」
正智深谷高で過ごした3年間、村岡が所属したクラスを担任したのは稲葉茂文教諭。「1年生の夏頃には『パラリンピックに行く』と目標を話していた」と振り返る。その言葉通り、2年生だった2014年のソチ大会に初出場。「クラスで開いたクリスマス会の時に代表入りを発表し、みんなで喜んだのを覚えています」と目を細める。
村岡は文武両道を貫いた。週末は7限まである授業の後、家族が運転する車でスキー場まで直行。「授業中にできるだけ吸収し、移動の車内で宿題を済ませてしまっていた。明るくて人の気持ちを考えることができる生徒で、クラスの皆に人気がありましたね」と言う。
稲葉教諭はある時、スキーに打ち込む理由を聞いた。「桃佳は『風を感じるのが好き』と話していた。東京大会を目指すと知って、陸上も好きなんだなと。歩けない彼女には、どちらも普段味わえない感覚を体験できるから」と想像する。レースはテレビで応援するつもりだ。「100パーセントの力を出し切ってくれれば十分」。教え子の雄姿を心待ちにする。
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村岡 桃佳(むらおか・ももか)
陸上女子100㍍(車いすT54)代表、トヨタ自動車。1997年3月3日生まれ、24歳。深谷市出身、深谷川本中―正智深谷高出。高校2年生だった2014年、パラリンピック・ソチ大会にアルペンスキーで初出場し、女子大回転座位で5位。早大3年の18年に開かれた平昌パラリンピックでは、同種目の金など冬季日本選手最多となる1大会5個のメダルを獲得した。夏季は今大会が初出場。
=埼玉新聞2021年8月21日付け1面掲載=
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