現役続行し新たな可能性へ
1997~2008年の12年間、浦和レッズでプレーした永井雄一郎氏(44)が先月、浦和学院高男子サッカー部のアドバイザーに就任した。県社会人リーグ3部のチームで選手兼監督を務め、現役選手を続けながら、指導者としての可能性を高めている。
元浦和の永井雄一郎氏が浦和学院高男子サッカー部のアドバイザーに就任し、選手たちにコーチングする=15日、さいたま市緑区の浦和学院高サッカーグラウンド
「レッズ当時はメンバーから一番最初にサッカーをやめるだろうと言われていた。ここまで続けるとは思わなかった」。永井氏自身、浦和に在籍していた20代の頃には想像できなかったであろうサッカー人生を歩んでいる。
永井氏といえば、スピードを生かしたドリブルを武器に浦和で06年のJ1リーグ、07年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)優勝に貢献し、ACLで大会MVPを獲得した。「指導者に興味はなかった。レッズに入ってからサッカーが仕事になって楽しむより日々戦い。ただ必死で、常に競争の中に置かれた」。だが、年齢を重ねるごとに気持ちに余裕が生まれた。
浦和時代の永井雄一郎氏(右)
「自分から伝えることが多くなって、選手が形に表してくれた時に喜びを感じた」。20代を浦和で過ごし、30歳となった09年から清水、12年からは横浜FCに在籍。その後も神奈川県社会人リーグなどさまざまなチームを渡り歩いたことで新たな価値観が芽生え、指導者を志し始めた。
そして、今年5月。94~99年に浦和のコーチだった浦和学院高の村松浩監督(64)が、永井氏が指導者を目指していることを知り、同校のアドバイザーとして誘ったことをきっかけに週2日ほど教えている。「技術、経験を伝えるのは簡単だけど、彼らのぐっと気持ちが入る言葉が難しい」と苦悩を口にする。それでも、率先して道具を運んだり、練習に参加して生徒たちに背中で教える姿もあった。「まだA級ライセンスだけど、S級を取って国内のトップチームで監督になりたい」と将来の姿を思い描く。
だが、現役選手としてもまだ諦めたわけではない。今年3月から県社会人リーグ3部のKONOSU CITY FOOTBALL CLUBで選手兼監督を務めてプレーを続けている。なぜここまで現役にこだわるのか。「サッカー選手としてただ成長したい。周りからどう言われようと自分はサッカー選手で居続けたい」。自らドリブルで敵陣を打開してきた浦和のストライカーは、これからも自らの信念の下、サッカー人生の道を切り開いていく。
=埼玉新聞2023年6月24日付7面掲載=
サイト内の浦和学院高校の基本情報は→こちら
学校の特徴 ~学校からのメッセージ~
本学では国際的な教養を身に付け、多様な文化を理解・尊重する精神を養うとともに、より平和な世界の構築に貢献する「社会人」を育成することを目的としています。2023年3月、国際バカロレア・ワールドスクールの認定校となり、2024年4月より新たに国際バカロレアコースを設置し、「国際教養の浦学」を実践すべく、国際貢献のできる人材の育成に力を入れていきます。
カテゴリー
よく読まれている記事