熊谷空襲を忘れない市民の会は1日、地元の高校生を対象に熊谷空襲戦跡巡りを行った。歴史を学ぶ企画には、県立熊谷高校と県立熊谷女子高校の生徒17人が参加。同会メンバーらの解説を聞きながら、79年後の現在も残っている空襲の爪痕をたどった。
頬の辺りに焦げた跡が残る弘法大師像を見る高校生たち=1日、熊谷市鎌倉町の石上寺
太平洋戦争終戦前日の1945年8月14日深夜から当日の15日未明にかけて、米軍機による爆撃を受けた熊谷空襲では、市街地の3分の2を焼失。市民266人が犠牲となった。戦後に復興を遂げた街には、当時の記憶をとどめた場所が点在している。
本堂をはじめ、多くの建物が焼け落ちた同市鎌倉町の石上寺では、左頬から首にかけて焦げ跡がある弘法大師像を見学。住職の岡安哲也さん(78)が、先代の父隆教さんから生前に聞いた当日の様子などを話した。隆教さんは炎に包まれた本堂に飛び込み、弘法大師像や本尊の千手観音像を運び出したという。
岡安さんは弘法大師像について、「父は『熊谷空襲があった生き証人なんだ』と語り、焦げた部分を修理するなと遺言していた」と回想。かつては人の目に触れないように保管していたが、「いかに平和が大切なのかを子どもたちが学習してくれるのであれば、お見せしてもいいと思った」と、折々に公開を行い始めた経緯を説明した。
戦跡巡りに参加した熊谷高2年生の上村駿輔さん(17)は「通学でいつも歩いている街に、空襲の歴史を伝えるものがあると知った。自分でも調べてみたい」と言う。熊谷女子高1年生の生徒(15)は「悲惨な空襲があったことを、初めて実感しながら学べた」と真剣な面持ちで話す。
2015年発足の同会は、熊谷空襲を伝える活動に取り組んでいる。企画の参加者は、ほとんどが高齢者だったため、22年から高校生向けの戦跡巡りを開始。今年で3回目となる。代表の米田主美さん(78)は「空襲の教訓が風化しつつある。今後は若い人たちに継承していかなければ」と使命感をにじませた。
=埼玉新聞2024年6月6日付け11面掲載=
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