古里にジム 新たな道
熊谷市出身で、元世界ボクシング機構(WBO)フライ級王者の木村翔さん(36)が27日、同市上川上の彩の国くまがやドームで引退興行を開催する。木村さんは昨年5月、同市弥生にボクシングとキックボクシングのジム「B Make(ビーメイク)」を開設。ジムの代表として、古里で新たな道へと踏み出している。今年2月には、現役引退を正式に発表した。
代表を務めるジムで、現役時代の世界チャンピオンベルトを持つ木村翔さん=熊谷市弥生の「B Make」
■けんか強くなりたい
木村さんがボクシングを始めたのは、市立玉井中学校3年生のころ。「けんかが強くなりたい」と、市内の熊谷コサカボクシングジムの門をたたいた。やんちゃな面があった木村さんは自信満々。ところが、「パンチも全然当たらなくてショックを受けた。でも、ボクシングって奥深いと思った」と、魅力に取りつかれる。進学した県立本庄北高校(現在は県立本庄高校に統合)では、ボクシング部に入部。1年生の夏には早くも、全国高校総体に出場した。
だが、2年生になると退部してしまう。「毎日同じ練習をこなすのがしんどくなった」と木村さん。友人たちが、高校生活を楽しんでいる姿がまぶしく映ったのだ。
■名前を世に残そう
高校卒業後は、建築関係の営業職などとして働いた。そんな20歳の時、母真由美さんが40歳の若さでがんのため死去。木村さんは「世に名前を残すことで、親孝行がしたい。自分にできることを考えたら、ボクシングしかなかった」と再開を決意する。
世界王者になることを目標に掲げ、22歳で東京都内のジムに入り競技復帰。「体が全く動かず、一からのスタートだった」と振り返る。24歳でプロデビュー。初戦はKO負けだった。「パンチは自信があったけれど、防御が良くなかった。自分の課題がデビュー戦で分かったことは、かえって良かった」と言う。
■敵地で王座を奪取
2017年7月28日、初の世界戦は敵地の中国・上海で五輪2大会連続金メダルの鄒市明(中国)に挑んだ。木村さんは「約1万5千人が入った会場で、日本人の応援は20人ぐらいしかいなかったのでは」と苦笑する。それでも、「判定になると不利だけれど、倒せばどこで戦っても一緒」と試合に集中。11回2分28秒でTKO勝ちを収めた。日本選手がアウェーで新王者に就いたのは、日本ボクシングコミッション(JBC)公認試合では1981年の三原正以来の快挙。「ミッションクリアという思いで、感無量だった」とほほ笑む。
その後は、2度のタイトル防衛を果たした。ボクシングをいったんやめていなければ、もっと強い王者になったのではないかという声も聞く。だが、木村さんは「ブランクがあったからこそ、復帰した後にボクシングと真剣に向き合えた」と言い切る。
■育ったまちに貢献
18年9月、3度目の防衛に失敗。王座返り咲きを目指したものの、23年1月の試合で引き分けてグローブを置く意思を固めた。木村さんは「再び王者にはなれないな。きっぱりやめよう」と、ジム経営の準備に乗り出す。「育ったまちで地域に貢献したいと思った」と、帰郷してジムを開いた。現在、約180人の会員が汗を流している。
ジムは、フィットネスが目的の人たちがターゲットだ。それでも、木村さんは「選手の育成もしてみたい」と語る。引退興行では、元世界3階級制覇王者の八重樫東さんと、2分3回のエキシビションに臨む。熊谷で開催するのは、地元にボクシングを根付かせたいからだ。木村さんは「スポーツが盛んなまちなので、そこにボクシングも加われば。まずはいろいろな人に見てもらい、いずれは熊谷で世界タイトル戦を行えたらいい」と夢を抱いている。
引退興行は午後2時開始。入場券販売中。問い合わせは、「B Make」(☎048・578・4466)へ。
=埼玉新聞2025年4月17日付け11面掲載=
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