個人競技で県勢初金メダル
東京五輪第6日の28日、柔道女子70㌔級で寄居町出身、児玉高出の新井千鶴(27)=三井住友海上=が優勝した。日本女子は52㌔級の阿部詩(日体大)に続く今大会2個目の金メダルとなり、複数階級制覇は、2階級を制した2008年北京五輪以来、3大会ぶり。今大会、県勢の個人競技での金メダル獲得は初。
女子70㌔級で金メダルを獲得し、笑顔の新井千鶴=日本武道館
自ら考え磨いた強さ
初の五輪で金メダルに輝いた新井の強さの礎になっているのが中学、高校時代に身に付けた「考える力」だ。
寄居男衾中時代は中学の先輩が通っていた高校に自らアポイントを取って、出稽古で磨いた。「強い人と戦いたい。素直に強くなりたい」。その一心だった。
進学先を児玉高に決めたのも「伸び伸びと自分のやりたいことができる環境だった」からだ。決して上から物を言わずに、選手自身に練習メニューを考えさせる柏又洋邦監督の指導スタイルに引かれた。「毎日毎日、自分で考えてやるトレーニングが苦ではなかったし、楽しかった」
卒業後、三井住友海上の柔道部に所属し、日本代表に選ばれてからは「勝てば勝つほど、孤独になっていく」と自分に言い聞かせた。厳しい世界を生き抜いていくには、教えてほしいことを待つだけでは限界がある。「何が必要で何が足りないのか」。自問自答し、自ら考えて行動することは、今でも胸に深く刻まれている。
印象的なのが、初の五輪代表を手中に収めた昨年2月のグランドスラム・デュッセルドルフ大会。前年の世界選手権で3連覇を逃し、思うような結果が出せない中、自ら練習の計画を立て「誰に何を言われようが『それでいいんだ、それで強くなるんだ』と覚悟を決めた。失敗しても全て自分の責任」を貫いた。そして同大会で優勝を飾った。
「人任せにしないことは、気持ちの強さにつながっていく」。迎えた念願の舞台。思いのこもった柔道で勝ち抜いた。自らの信念を貫き、小学生の頃に夢見た畳の上で大輪の花を咲かせた。
地元寄居「一緒に戦った」
新井選手の出身地、寄居町では新井選手が小学生から中学生まで通っていた地元の男衾柔道クラブの代表で笠原則夫さん(60)が営む笠原接骨院=同町富田=に、当時の指導者や練習仲間が応援に駆け付けた。金メダルが決まった瞬間、競技を見守っていた人たちから快挙を喜ぶ拍手が起こり、グータッチをしながら栄誉をたたえた。
金メダルが決まり喜ぶ関係者=28日午後7時47分ごろ、寄居町富田「笠原接骨院」
名前の「千鶴」にはたくさんの人と出会って、大きく羽ばたいてほしいという両親の願いが込められている。金メダルを手にした瞬間、新井選手は世界に大きく羽ばたいた。
準決勝は16分以上の長い試合を制して勝利。笠原さんは「長い時間厳しく、こんなに大変な試合は見たことがない。一緒に戦っていたような気持ちです」と汗を拭いながらも決勝戦進出を喜んだ。決勝戦で残り20秒に寝技に持ち込んだ時、勝利を確信したといい、「幸せです」と感無量の様子。
笠原さんは35年前、畳32枚を自宅前の町立男衾中学校の体育館に敷いて同クラブを創設。毎回、新井選手から投げられていたという会社員の佐藤幸一郎さん(27)は半休をもらって応援に訪れた。3、4年前の同クラブの初稽古でも新井選手から投げられていた。金が決まると「一緒に柔道ができて感謝したい」と一つ年上の先輩が誇らしそうだった。
同クラブの後輩、大木妃偉(ひより)さん(20)も「攻めの柔道が見られた。信念を貫く精神を日々の生活に生かしたい」とほほ笑んだ。
「諦めない姿に勇気」
埼玉県・大野元裕知事
新井千鶴選手、金メダル獲得おめでとうございます。ご自身初のオリンピックという晴れ舞台で、世界の強豪を相手に目覚ましい活躍を見せてくれました。最後の瞬間まで諦めない姿は、私たちに大きな勇気と感動を与えてくれました。県民を代表して心からお祝いと感謝を申し上げます。これからもさらなるご活躍を期待しています。
「町民に大きな感動」
寄居町・花輪利一郎町長
町民に大きな勇気と感動、そして次代を担う子どもたちには大きな夢と希望を与えてくれた。今回の快挙は町にとっても初めてのことであり、誇り。
「本当に安堵」
県立児玉高校柔道部 柏又洋邦監督
よくやった。うれしさも当然あるが、本当に安堵(あんど)した。本当に努力し、苦労してきた姿も見てきたが、重圧から解き放たれ、最高の笑顔を見せてくれた。
=埼玉新聞2021年7月29日付け1・15面掲載=
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