日記や石碑読み解く
栄東中学・高校(さいたま市見沼区)の理科研究部が、1923年9月1日の関東大震災に関する埼玉県内の記録の調査に取り組んでいる。当時の住民の日記と石碑に刻まれた記録を手掛かりに、住民の行動や建物の損壊状況などを研究してきた。同部は所沢市をはじめとした調査の成果について、市内の企画展で報告。「逃げるに歩くのも困難だった」という100年前の大地震の記憶を伝えている。
関東大震災の記録を調査してきた栄東中学・高校の理科研究部顧問の荒井賢一教諭(左)と部員の徳田光希さん=所沢市並木6丁目
■「まれなる大地震」
理科研究部は2009年度ごろから地震の研究を始めた。三陸津波や三宅島の噴火などを通じ、地震のメカニズムや防災学を学んできた。
関東大震災を巡る埼玉県内の調査は13年度以降の取り組みだ。学校があるさいたま市を皮切りに「三大被災地」といわれる春日部、幸手、川口の各市で日記や石碑を調べてきた。
所沢市の研究は同部顧問の荒井賢一教諭(52)、同部に在籍していた卒業生の篠田海遥さん、同中3年の部員徳田光希さん(14)が手がけてきた。
震源地(神奈川県西部)の北東約70㌔に位置する所沢は、震度5程度の揺れに襲われたといわれる。
同部の調査では、市内に残る「北田斧吉日記」と「諸星新助日記」、「鈴木源一日記」の三つの日記の原本や複写版を読んだ。北田、諸星、鈴木の各氏は、それぞれ現在の同市金山町、下安松、西新井町の自宅で被災したという。
「正午十二時近計稀なる大地震来たり、其震ひ方劇烈にて跳け出すにも容易に歩行けす(正午少し前に地震がきた。激しい揺れで、逃げるに歩くのも困難であった)」。北田氏の日記にはこう書かれ、土蔵の壁が落ちたり庭の石灯ろうが倒れたりした様子が記載されていた。夜に入り東京方面が火災に見舞われていることを認識した、との内容も記録されていた。
諸星氏の日記は「人畜ニハ被害ナシ」とする一方で、たびたび強い揺れがあり明け方まで眠れなかった、と余震が続いたことを伝える記載があった。
日記は墨やペンで書かれている。徳田さんは「崩した字は今でも読み取りが進まない」と語る。
■丹沢地震も記録
石碑の調査では浅間神社(所沢市荒幡)や山口観音(同市上山口)などに残る6基に刻まれた文章を読み解いた。神社の敷地内で山が崩れたことや石の鳥居が倒壊したことなどが刻まれていた。
関東大震災の余震といわれる1924年1月15日の「丹沢地震」に触れ、「氏子等ガ折角ノ辛苦モ水泡ニ帰セリ」などと、落胆の思いを刻んだ文言もあった。
研究は所沢での被害について「家屋の倒壊はなかったものの、寺社の建物や石灯ろうの損壊などの被害があった」と解説。春日部地域などに比べ被害の程度が少なかったとみられることには「さらに考察の余地がある」としている。
荒井教諭は100年前の大地震に「揺れや火による被害など、地震で起こり得る全てのことが起きており、多くの教訓が含まれている」と説明。「流言飛語の発生にも注意すべきだ」と促す。
関東大震災の様子が記載された「北田斧吉日記」
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栄東中学・高校の理科研究部の研究は、所沢市並木6丁目の生涯学習推進センターで開かれている市の企画展「関東大震災百年」の中でパネル展示されている。16日には関連講座「関東大震災と所沢」が行われ、同部員や卒業生らが展示解説する。展示は24日まで。講座は先着60人。2日から申し込みを開始する。
問い合わせは、市文化財保護課(☎04・2991・0308)へ。
=埼玉新聞2023年9月1日付け11面掲載=
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