県立浦和高校(浦和区領家、水石明彦校長)のグラウンドに高さ30㍍を超えた1本のイチョウの木が立っている。空へ向かい真っすぐに伸び、落葉後も風格を帯びた存在感で見る者の目を奪う「大銀杏(おおいちょう)」。現在とは別の場所にあった旧制浦和中学時代から2度の移植を経て126年にわたり、唯一無二のシンボルとして生徒らを見守り続けている。
葉が落ちても存在感を示す大銀杏=1月22日、浦和区の県立浦和高校グラウンド
同校は1896(明治29)年、旧浦和町鹿島台、現在の浦和警察署周辺に県第一尋常中学校として開校。大銀杏はこの頃から校庭にあった。その後、県立浦和中学校と改称。毎週月曜日の朝礼は大銀杏の付近に全生徒を集めて校長訓辞が行われたという。同窓会事務局長の篠田雅彦さん(60)は同校の「百年史」を手に「生徒から〝樹下垂訓〟と呼ばれ、名物だったようですね」とほほ笑む。
大銀杏の下で校長訓辞に耳を傾ける旧制中学時代の生徒ら=1933(昭和8)年卒業アルバムより(浦和高校同窓会提供)
1937(昭和12)年、同中が現在の所在地に移転した際に校舎の近くへ移植。61(同36)年10月5日付埼玉新聞には「『イチョウは記念として長く学校に残したい』という古河市在住の先輩が金を出し、夜間に大八車に積んで新校舎に運んだ」との懐古記事がある。その後66(同41)年、新棟増設のときに現在の南グラウンド脇へ移した。
「大銀杏は浦高(の歴史)そのもの」と話す篠田さん。冬場は霜柱を防ぐためブルーシートで覆い、夏場はスプリンクラーを使って小まめに水を散布。ボランティアの卒業生らと交代で協力し、大切に手を掛けている。
文武両道に重きを置く同校では、50㌔超えの距離にチャレンジする強歩大会をはじめ、運動系の行事が多い。練習などで長年にわたり土を踏み固められ元気を失ってきた根元を守りつつ、外周走のコースも確保しようと工夫を重ね、数年前に橋を架けるような形で「木道」を設置した。
同校OBでもある水石校長は、「世界のどこかを支える人材への成長を、生徒たちには望んでいる。そのためには、少しの挫折でポキッと折れるようでは困る。心身を鍛え、試練に立ち向かってほしい」と、冬場を耐える大銀杏の方向を見つめた。「校章は葉をかたどったデザイン。応援団の演舞名にも『銀杏乱舞』があり、まさにいろいろな意味でのシンボル」。大銀杏について語る表情には、愛情と誇りがにじむ。
勉強、部活動、学校行事と忙しい毎日を送る生徒会長の山田広基さん(17)は「目標に向かい懸命に走る浦高生を見守ってくれている。由緒正しい大木でありながら、とても身近な存在」と親しみを込める。その言葉通り、芽吹きを待つ長く伸びた枝の下では、多くの生徒らが汗を流していた。
根を守る木道を通って走る生徒。秋には葉が鮮やかな黄金色に輝く(浦和高校提供)
=埼玉新聞2022年2月2日付け11面掲載=
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