手応えと悔しさ4年後へ
男子ハンドボール日本代表の一員として、パリ五輪に出場した玉川裕康選手(29)=さいたま市桜区出身、ジークスター東京=にさいたま市からスポーツ特別功労賞が贈られた。日本代表が36年ぶりに自力出場をつかんだ夢舞台では強豪相手に好試合を演じながらも予選リーグ5戦全敗に終わった。全試合に出場し、「一つの歴史を動かせたことはうれしいが、結果がついてこなかったことは悔しい」。フランスの地で得た手応えと課題を明日への力に、4年後のロサンゼルス五輪での活躍を誓った。
清水勇人市長から表彰状を受け取り、笑顔を見せる玉川裕康選手(左)=18日、さいたま市役所
イラン人の父と日本人の母を持つ玉川選手は、市立西浦和小、田島中から浦和学院高校(緑区)に進学した生粋の〝さいたまっ子〟。18日、市役所を訪れ、清水勇人市長から表彰状とトロフィーを受け取り、「僕を育ててくれたさいたま市に帰って来られてうれしいし、誇りに思う」と笑顔がはじけた。埼玉県ハンドボール協会の会長を務める清水市長は、身長2㍍の玉川選手を「大きいですね」と見上げ「プレーが輝いて見えた。五輪に自力で出場して、ハンドボールをやっている子どもたちに夢と希望を与えてくれた」と賛辞を贈った。
日本代表は初戦でクロアチアに29―30で惜敗すると、その後、ドイツ、スペイン、スロベニア、スウェーデンに敗れた。スペインとは33―37と競り合い、スロベニアには28―29と1点差だった。5戦全敗だったが、世界との差は着実に縮まっている。「スピードや俊敏性は日本が一番。サイズが足りない分、日本人の勤勉さと真面目さでいかにカバーできるか」と今後の躍進の鍵を挙げた。
田島中入学後にハンドボールを始めた玉川選手は初めて五輪に出場。全5試合に出場し、計4点を決めた。日本人には類を見ない上背を誇りながらも武器の走力を発揮し、守備の要としてチームを助けた。通用した部分については「スピードを持った大きい選手としてプレーできたことは一番の強み」と言い切る一方、攻撃面での得点を奪い切る力の向上とともに「疲労した中で小さなミスが出てしまった」と課題を口にした。
大会を通じて「1点の重みを感じた」という。4年後は33歳になり「五輪を目指すなら最後になる」とした上で、ロス五輪に向けて「まずは何が何でも出場権を取って、パリでできなかったことを成し遂げたい。今度はいいニュースを届けられるように頑張りたい」と決意を新たにした。
=埼玉新聞2024年9月23日付け10面掲載=
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