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第107回全国高校野球 叡明 延長で初戦敗退

津田学園(三重)に4-5

 第107回全国高校野球選手権大会第3日は7日、兵庫県西宮市の甲子園球場で1回戦2試合を行い、埼玉県代表で初出場の叡明は6年ぶり3度目出場の津田学園(三重)に延長十二回タイブレークの末、4―5で敗れた。
 叡明は増渕、田口の継投で九回まで3失点。3―3で延長タイブレークに突入した。十回は両チームともに無得点。十一回に田口の右翼線への適時打で1点を先行したが、直後に再び同点とされた。十二回の攻撃は犠打失敗に併殺打とかみ合わなかった。その裏に悪送球でサヨナラの生還を許した。
 目標であった甲子園での初勝利はかなわなかった。中村要監督は「最後まで勝利を信じて戦ってくれた。何本もヒットを打たれながらもしのいで、本当にいいゲームだった」と選手たちをたたえた。

 

 叡明は延長十二回タイブレークを粘り強く戦うも津田学園に4―5でサヨナラ負けした。
 叡明は高野、根本の適時打などで九回までに3得点。3―3で延長に突入した。両チームともに十回は無得点。十一回に田口の適時打で1点を先行したが、直後に再び同点とされた。十二回の攻撃は犠打の失敗、併殺打に終わった。最後は相手の投手前犠打を悪送球し、失点した。

 

スタイル貫き充実感

 甲子園に舞台が変わっても叡明の野球スタイルは不変だった。敗れはしたが、堅い守りを攻撃につなげて延長十二回の熱戦を演じた。中村監督は「本当に素晴らしい選手たちだった。中盤からは叡明らしい攻撃を貫けた」と充実感に満ちた。
 3―3で迎えた延長タイブレークの攻防は会場に大歓声が上がった。十回表、先頭の根本が併殺に倒れ、無得点。絶体絶命かと思われたその裏の守りは、2番手投手田口が先頭打者に犠打を許さず、一直で併殺。スコアボードに0を刻んだ。
 十一回、先頭の田口が内角の変化球を右翼線に運び、この試合初めてリードを奪った。それでも相手はしぶとかった。直後の守りは内野ゴロ2本の併殺崩れで再び同点。二塁手細沼は「重要なところで取り切れなかった。もう一歩前に出られたら」と言葉を振り絞った。
 十二回に力尽きたが、幾度の窮地を最少失点で切り抜けた。先発マウンドはエース増渕。中村監督は「増渕の成長があったからこそ、この夏を勝ち切れた。甲子園でも彼の頑張りに懸けた」。田口との二人の継投は現チームの躍進そのものだった。
 目標であった甲子園での校歌斉唱はかなわなかった。それでも、数々の叡明の歴史を塗り替えた現チーム。主将の根本は「自分たちが1年間つくってきたチームの集大成。負けはしたが、やり切った」。試合後は大きな拍手が聖地を包んでいた。

 

投打の要 仲間に感謝

3番・田口

 甲子園でも田口が投打の要だった。2番手として三回から登板。打っては五回の同点犠飛や延長十一回の勝ち越し適時打など2安打2打点。「最近は調子が悪かったが、関係ない。自分の3年間は誰にも負けない自信があった」と力強かった。
 テンポの良い投球で相手打線を封じた。延長の3イニングは1安打も許さず。最後は自らの悪送球でサヨナラ負けしたが、悔いはない。「自分の投球は流れを変える。一球一球に歓声が沸き、持っている力以上の投球ができた」と納得の表情だ。
 「この代は田口のチーム」。発足直後から常に言われてきた。しかし、県大会ではエース増渕や野手陣に助けられることが多かった。「自分が成長しつつ、周りも成長させなければいけなかった。大変だったが、ここまで仲間がついてきてくれた」と感謝を口にした。

 

勢い与える反撃の一打
6番・高野

 6番高野が反撃の口火を切った。0―2の四回、2死一、二塁で外角の変化球をうまく合わせ、逆方向へ右前適時打。「(二回で降板した)エース増渕をもう1試合投げさせてあげたかった。いい形でチームを勢いづけられた」とうなずいた。
 埼玉大会は全7試合にフル出場。それでも、打率は1割4分3厘と苦しんだ。甲子園に向けて田口らチームメートと課題修正に取り組んだ。「試行錯誤が実った。ここまで来られて、みんなと野球ができて楽しかった」と最後は表情が緩んだ。

 

主将 攻守で躍動

1番・根本

 主将の根本が攻守で躍動した。二回、1死二塁で中前打を捕球すると、好返球で二塁走者の本塁生還を阻止。1―3の五回は適時二塁打を放ち、直後に同点のホームを踏んだ。「先行される展開でも下を向かず前を向いてやれた」と胸を張った。
 埼玉大会では12安打を放ち、チーム一の高打率を誇った。相手の好左腕に対して上位打線の青木、田口、笘ら左打者は苦戦を強いられた。「ずっと左打者に助けられてきた。ここは自分が打たなければいけない」と強い覚悟の打撃だった。

 

スタンドから仲間鼓舞

中嶋瑛斗さん

 第107回全国高校野球選手権大会第3日は7日、甲子園球場で行われ、埼玉県代表の叡明は津田学園(三重)に延長十二回タイブレークの末、4―5でサヨナラ負けした。初出場の雄姿を目に焼き付けようと、スタンドには同校の卒業生ら約千人が駆け付けた。大応援団を束ねたのは、同校3年で応援団長の中嶋瑛斗さん(18)。けがに苦しみ続けた高校野球生活。最後は仲間のため力の限り声援を送り「2年半、やってきたことが報われた。団長としてチームを支えられて良かった」と充実感をにじませた。

けがに苦悩 応援団長に

三塁側アルプススタンドを束ねて声援を送る応援団長の中嶋瑛斗さん(中央)=7日午後、甲子園球場

 

 中嶋さんは小学2年で野球を始めた。小学5年の時に椎間板ヘルニアを発症し、そこからは慢性的な腰痛と向き合ってきた。「レベルの高い中で伸び伸びと野球ができる」と、叡明野球部の門をたたいた。高校1年の冬に再び腰を痛めると、腰椎分離症と診断された。約4カ月の練習離脱を余儀なくされ、その後も万全な状態には戻らなかった。
 苦しくても大好きな野球は諦めなかった。ストレッチや体の強化方法を自ら調べ、練習を積んだ。現チーム発足後の秋季県大会は背番号16の一塁手として初のベンチ入り。3回戦の山村学園戦ではスタメン出場し、七回に公式戦初安打を放った。4―5で敗れはしたが、一時同点のホームを踏むなど活躍した。
 高校最後の夏。満足にバットが振れない体で、埼玉大会のメンバーに入ることはできなかった。メンバー発表の後、中村要監督からは「一塁手を一番守れるのはお前だ」と声をかけられた。「うれしい言葉で悔いはない。ここからは一緒にやってきた仲間を応援団長として鼓舞する」。約2年半、共に汗を流した仲間の背中を押す決意を固めた。
 Aシードで迎えた埼玉大会は7試合を勝ち上がり、初の甲子園出場を果たした。スタンドでは誰よりも全力で声を出し、笑顔を忘れなかった。決勝が終わると選手から「ありがとう」と声をかけられた。「3年生はみんな本当に仲がいい。やってきたことは間違っていなかったと感じた瞬間だった」と涙があふれた。
 同校の歴史を塗り替えて、たどり着いた高校野球の聖地・甲子園。中嶋さんは大きな盛り上がりを見せた叡明側スタンドの中心にいた。幼少期から憧れた甲子園のグラウンドに立つ夢はかなわなかった。それでも「叡明で野球をして見たことない景色が見られた。ここを選んで本当に良かった」と笑顔がはじけた。

 

激闘にエールと拍手

叡明の選手に声援を送るPV参加者ら=7日午後7時ごろ、越谷市のイオンレイクタウン

 

 全国高校野球選手権大会で埼玉県代表の叡明は7日、初戦を迎えた。地元の越谷市では、学校近くの商業施設「イオンレイクタウン」で、パブリックビューイング(PV)が開催された。同校の生徒や集まった市民らが、甲子園の初舞台に立った選手たちに熱い声援を送った。
 市内の30代女性は「地元の高校を応援しようと駆け付けた。悔いのないよう頑張ってほしい」と試合を見守った。同校3年で女子サッカー部の山本愛さん(17)、中田聡美さん(18)、彭欣佳さん(17)は教室やグラウンドで、選手らと高校生活を過ごした。「3年生は最後の大会、ぜひ頑張ってほしい」とエールを送った。
 試合は延長タイブレークの激闘に。12回裏、サヨナラで敗れると、会場からは選手の奮闘をたたえる拍手が広がった。草加市の男性(55)は「残念、紙一重のいい試合だった」、さいたま市の村上忠裕さん(43)は「ぜひ1勝してほしかった。勇気と感動をもらった」。同校ダンス部で2年の四栁瑠花さん(16)、松沢凛桜さん(17)は「最後まで粘って頑張った。来年は甲子園に応援に行きたい」と話していた。

 

=埼玉新聞2025年8月8日付け1,7,15面掲載=

 

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学校の特徴~学校からのメッセージ2025~

2015年に校名を「叡明高等学校」に変更し、校舎を越谷レイクタウンへ移し、男女共学校として生まれ変わりました。地域連携では毎年越谷市の阿波踊りに参加したり、「自主自立」を掲げる校風のもと、生徒自身が各種行事へ参画し、企画運営を行ったりと、校内は常に活気に溢れています。

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