攻守光り初戦突破
第97回選抜高校野球大会第5日は22日、兵庫県西宮市の甲子園球場で1回戦3試合が行われ、1975年の創部以来、春夏合わせて甲子園初出場の浦和実は滋賀学園に3―0で完封勝利を収めた。
浦和実は、悲願の夢舞台で左腕石戸が被安打6で完封の好投。0―0で迎えた五回に深谷の送りバントと斎藤の右前打で2死一、三塁の好機を築くと、佐々木の中前適時打で先制点を奪った。山根の四球でなお、2死満塁とし、三島の左翼手と三塁手の間に落ちる左前適時二塁打で2点を追加した。
チームに37年携わる辻川正彦監督は「相手は非常に良いチームで勝てるイメージが湧いていなかったが、勝てて本当にうれしかった」と歴史を塗り替える、甲子園での初白星をかみしめた。
浦和実は第8日の25日、2回戦で東海大札幌(北海道)と8強入りを懸けて争う(午後2時開始予定)。
左腕石戸が6安打完封と好投し、浦和実が滋賀学園に3―0で勝利した。石戸がテンポよい投球でリズムをつくると、五回2死一、三塁から佐々木の中前適時打で先制。さらに2死満塁とし、三島の左前適時二塁打で2点を追加。その後は好守で反撃を封じた。
滋賀学園は石戸から攻略の糸口を見いだせず、16個のフライアウトと打線が沈黙した。
堅実野球 らしさ全開
創部から半世紀、浦和実が甲子園でも、らしさ全開の堅実な野球を展開し、新たな歴史を刻んだ。初出場で昨夏全国8強の滋賀学園を完封して、初勝利。試合終了後、勝利の校歌が聖地に響いた。天を仰ぎ、選手たちの歌声に聞き入った辻川監督は「これだけ戦えて、非常に頼もしかった」と教え子たちに感謝した。
先発石戸が四回まで被安打1に抑え、守備から流れを引き寄せた。迎えた五回、指揮官から「絶対に先頭で出ろ」と送り出された7番橋口が「球種を絞って絶対に出てやる」とチーム2本目となる安打で出塁。続く深谷が140㌔近い直球に対して三塁線にバントを決め、走者を進めた。
2死後、1番斎藤の安打で一、三塁と好機を広げると、2番佐々木、4番三島の適時打で3点を先制した。まさに浦和実の掲げる1球への「執念」を体現。一人一人が役割を徹底し、この試合唯一とも言える好機をものにした。
七回の守備。無死一、二塁のピンチでベンチの小野主将が動いた。監督のそばに寄りうなずくと、マウンドに選手を集め「1点はオッケー。まずはゆっくり1アウト取ろう」。甲子園でも貫くは自らの野球。冷静に後続から三つのアウトを奪い、ピンチを脱した。
「県や関東での勝利とは大きく違う。この1勝はずごく勢いづく」と小野。目標の8強入りまであと1勝。大舞台でも気負うことなく戦い抜いた浦和実の歴史を塗り替える挑戦が今、始まった。
被安打6 堂々完封
石戸
大舞台でもポーカーフェースを崩さなかった。浦和実の先発石戸が度胸ある投球で次々と相手打者を手玉に取り、6安打完封劇を演じた。「チームに貢献できて良かった。やっぱり1、2点は覚悟していたので無失点はうれしい」とはにかんだ。
この日は直球が走り、内外の投げ分けも抜群だった。捕手野本が相手打順の一回りごとに配球を変え、要求する場所にきっちり投げ込んだ。「次のバッターに的を絞らせなかった」と石戸。相手のアウトはフライが16個。打席でのペースを完全に狂わせた。
七回無死一、二塁のピンチでも「次の打者が送ってくれて1アウト取れたので落ち着けた。当てても良いくらいの気持ちで投げた」と冷静だった。内角を突き、2者連続で空振り三振を奪った。
投球練習では、ただ投げるのではなく、カウントや走者を常に頭の中で想定し、次の球を決める。慎重な性格で念には念を入れて準備するからこそ、マウンドで一切緊張せずに強心臓を発揮できる。「心身の疲労を回復して良い準備をしたい」。エースはすでに次戦に視線を向けていた。
貴重な2点打 辛口自己評価
4番・三島
1点先制直後の五回2死満塁、4番三島の打球は詰まりながらも、左翼手と三塁手の間にぽとりと落ちた。一気に走者が生還し、貴重な2点を追加。「点が入った喜びより良い当たりが出なかった悔しさのほうが大きい」と辛口評価で貪欲な姿勢をのぞかせる。
1年の夏に股関節を痛め、膝や背中もそのけがの影響で痛みを抱える。新チームからは別メニューで練習に参加することも少なくなかった。それでも「詰まっても力で持って行ける」強みは健在。長打の狙える4番に次戦も好機で期待がかかる。
2安打 勝利の起爆剤
2番・佐々木
2番佐々木が先制の中前適時打を含むチーム唯一の2安打で、勝利の起爆剤となった。「チャンスで自分が打たなきゃと思い、ここぞで一発を出せた」。試合の2日前、重心が上下にずれると速球への対応ができないからと急きょ変更したノーステップ打法が功を奏し、満面の笑みを浮かべた。
自宅には大工である祖父が作った打撃練習用のケージがある。「毎日バットを振り込んできた」と父・忍さんと連続ティーや素振りなどに取り組んだ努力が大舞台で実を結んだ。
晴れ舞台はつらつ
2000人大応援団後押し
第97回選抜高校野球大会第5日は22日、兵庫県西宮市の甲子園球場で1回戦3試合を行い、1975年の創部以来、春夏合わせて初出場の浦和実業学園高校は滋賀学園高校に3―0で初陣を飾った。三塁側アルプスには初の夢舞台を目に焼き付けようと、OBや在校生ら約2千人の大応援団が駆け付け、選手を後押しした。
アルプススタンドから選手へ声援を送る浦和実業学園高校の大応援団=22日午後、兵庫県西宮市の甲子園球場
硬式野球部で応援団長を務めた安孫子一輝選手(17)は「自分たちが緊張していたら選手にも伝わる。かれるくらい声を出してとにかく楽しむ」と盛り上げた。26日に全国大会を控えた強豪のチアダンス部部長の照沼理桜さん(17)は「私たちの華やかな応援で選手に100%以上の力を発揮してもらいたい」と甲子園に華を添えた。
辻川正彦監督の旧友も応援に駆け付けた。富士見市政策財政部部長の水口知詩さん(60)は、監督の城西大城西高校(東京)時代の一つ上の先輩。「高校の頃から甲子園を目指し続けてずっと頑張ってきた努力家。念願かなった勇姿をぜひ見たいと思った」と後輩の晴れ舞台を見守った。
五回の先制の場面ではアルプスが笑顔と歓声に包まれた。先制の中前打を放った佐々木悠里左翼手の父、忍さん(44)は「チームに勢いをつけてくれて父として本当にうれしい」と感動のまなざしを向け、勝利を喜んでいた。
藤野幸彦外部コーチ 3度目の聖地 格別
三塁側応援席から真剣なまなざしで浦和実業学園高校の試合を見守る藤野幸彦さん(左)
三塁側応援席からグラウンドに鋭い視線を向けていたのは、浦和実業学園高校硬式野球部外部コーチの藤野幸彦さん(68)。「後はもう、恩返しの時間ですよ」と、定年後に指導する孫のようなまな弟子たちと人生3度目の甲子園に挑んだ。
藤野さんは辻川正彦監督(59)の城西大城西高校(東京)時代の恩師。高校3年時の1974年夏には、背番号10、主将として同校初となる全国高校選手権大会に出場した。大学卒業後、8年間はコーチとして、その後5年間は監督としてチームを率い、79年夏にはコーチとして2度目の甲子園切符を手にしていた。
35歳で監督を勇退して65歳まで一般企業に勤め、退職後は毎日、浦和実の指導に携わる。練習では「(ノックで)高いの上げてもらえ!高いの!今日は珍しくうまいねえ」「悪送球!ほらいった、いいねいいね」と選手をたきつける藤野さんのやじが飛び、選手たちは笑みをこぼしながら何度もボールに食らいつく。
「一番話しかけやすくて、みんなのおじいちゃんっていう感じ」(工藤蓮三塁手)と人当たりの良い藤野さんだが、ノックを打つ時はまるで「鬼」の形相。一球一球アドバイスしながらノックを打つ藤野さんに鍛えられ、選手たちは球際に強くなった。
常に同じ場所に球を当てる職人技の証しか、ノックバットにはボールが当たる一点だけにくっきりと丸い跡が残る。「道具を大事にしないやつは野球もうまくならない」。練習後はシューズとバットを白くなるまで磨くのが日課だ。
辻川監督は「おっかなかったんだよ。でも藤野さんほど野球に詳しい人はいないからね」。試合前、藤野さんと相手のビデオを見て分析するという野本大智捕手は「相手の特徴を的確に捉えて細かく教えてくれてすごく参考になる」。この日、滋賀学園高校を完封した配球に藤野さんの長年の知識が詰まっている。
「いつものペースで守れている。やっぱり甲子園はいいよね。みんなが埼玉を応援してくれている」。教え子率いる浦和実が連れてきてくれた甲子園。46年ぶりの夢舞台は格別だ。
=埼玉新聞2025年3月23日付け1、9、15面掲載=
関連記事
第97回選抜高校野球 浦和実業学園高校 辻川正彦監督/投・攻・守
センバツ浦和実 変化遂げ春に舞う<下>役割徹底 1点に懸ける覚悟
センバツ浦和実 変化遂げ春に舞う<上>創部から半世紀 ついに聖地へ
サイト内の浦和実業高校の基本情報は→こちら
学校の特徴~学校からのメッセージ2024~
本校の校訓は、創設者の教育理念である「実学に勤め徳を養う」です。普通科には5つ、商業科には2つのコースがあります。ひとりひとりの生徒がそれぞれのコースのなかで、学力を高め、資格を取得し、様々な能力を伸ばしていける学校です。「生徒がどれだけ伸びたか」を大事にしています。併せて、運動部や文化部の活動、生徒会活動も活発であり、本校生徒の目は希望にあふれ生き生きと輝いています。
カテゴリー
よく読まれている記事