埼玉新聞社 高校受験ナビ

【埼玉県公立高校の歴史を紐解く】第1回 明治時代創立編

2022年11月12日配信

 

最古は不動岡、学校ナンバー1番は県立浦和

 受験生の皆さんが高校調べをしていると、歴史や伝統に触れた文言をよく見かけるでしょう。「創立100周年」とか「100年を超える伝統」などです。
 そこで、今回は埼玉県公立高校の創立年をまとめてみることにしました。
 第1回は明治時代創立の学校です。
 歴史を感じてもらうために、皆さんが社会(歴史)で学んだ有名な歴史事項を併記してみました。

 

※2022年11月現在、現存する埼玉県公立高校のみ記載

 

◆最古の歴史を持つ不動岡
 埼玉でもっとも創立年が古いのは不動岡です。
 明治19年、「私立埼玉英和学校」として創立されました。大正10年に県に移管され「埼玉県立不動岡中学校」となりました。

 なお、ここで注意が必要です。
 今で言う高校は、昔は中学校と呼んでいました。今の中学校と区別する意味で「旧制中学校」などと言っています。入学する年齢は13歳なので今の中学校と同じですが3年制ではなく5年制です。また、中学校に入れるのは男子のみで、女子は高等女学校などに進みました。明治時代に男女共学はありませんでした。

 

◆ナンバースクール誕生
 明治28年、「埼玉県第一尋常(じんじょう)中学校」が創立されました。これが現在の県立浦和高校です。
 同年、「埼玉県第二尋常中学校」も創立されました。現在の県立熊谷高校です。
 そして4年後の明治32年、後に県立川越高校となる「埼玉県第三尋常中学校」と、後に県立春日部高校となる「埼玉県第四尋常中学校」が創立されました。
浦和、熊谷、川越、春日部の4校をナンバースクールと呼ぶのはここから来ています。

 

◆第二が無いのに浦和第一女子
 女子のための高等女学校でもっとも古いのは、現在の県立浦和第一女子高校である「埼玉県高等女学校」です。明治33年の創立です。
 次いで明治39年、現在の県立川越女子高校である「川越町立川越高等女学校」が創立されました。同校は明治44年に「埼玉県立川越高等女学校」となりました。
 さらに明治44年には、現在の県立熊谷女子高校である「埼玉県立熊谷高等女学校」、現在の県立春日部女子高校である「粕壁町立実科高等女学校」が創立されました。(地元の人はご存知と思いますが、春日部はその昔、粕壁(かすかべ)と呼ばれていました。今も町名などに残っています)
 春日部女子が浦和一女・川越女子・熊谷女子と異なるのは、「高等女学校」ではなく「実科高等女学校」としてのスタートだった点です。「実科高等女学校」は、実科という語からも想像できるように家事や裁縫など実践的なことを学ぶ学校です。今風に言えば「高等女学校」は普通科、「実科高等女学校」は専門学科といったイメージです。

 浦和一女の前身である「埼玉県高等女学校」は、「埼玉県浦和高等女学校」、「埼玉県浦和第一高等女学校」と名前を変えましたが、第一があるなら第二もありそうです。実際、「埼玉県立浦和第二高等女学校」はありました。これが現在の県立浦和西高校です。今は共学の浦和西ですが、創立時は女子校でした。

 

◆西部地区では所沢、川越工業
 創立年で言えば、県立所沢高校も古い学校です。明治31年、「共立英和学舎」という私塾からスタートしました。昭和に入り「所沢町立高校」、「所沢市立埼玉県所沢高校」と変わり、戦後に埼玉県に移管され、現在の埼玉県立所沢高校となりました。

 西部地区では県立川越工業高校も歴史の古い学校です。明治41年、「埼玉県立川越染織学校」として創立されました。工業高校となるのは大正時代になってからで、創立当時は染織科や図案科のある学校でした。川越工業・デザイン科は非常に人気の高い学科ですが、グラフィックデザインや服飾デザインを学ぶこの学科は、同校の創立以来の伝統を引き継いでいると言えます。

 

◆北部地区に多い伝統校
 現代の埼玉県は東京に近い県南地区が発展していますが、明治時代は農業や養蚕業などでむしろ県北地区や県西地区の方が発展していました。
 冒頭の表に、明治時代創立の16校が載っていますが、このうち7校は北部地区の学校です。
 県立児玉白楊高校は明治32年、「競進社蚕業学校」として創立されました。その後、「埼玉県児玉農学校」「埼玉県立児玉農工高校」「埼玉県立児玉白楊高校」などと変わり、この度、普通科の児玉高校の統合されることになりました。
 
 県立秩父農工科学高校は明治33年、「秩父郡立乙種農業学校」として創立されました。その後、「埼玉県立農林学校」「埼玉県立秩父農業学校」「埼玉県立秩父農工高校」と変わり、平成17年に秩父東高校(女子校)との統合を機に現在の県立秩父農工科学高校となりました。

 県立秩父高校の歴史はやや複雑ですが、もっとも古い歴史は明治40年の「町立裁縫女学校」に遡ります。その後、「秩父町立秩父実科高等女学校」となり、男子校の「町立秩父商業高校」との統合などを経て、現在の県立秩父高校に繋がってきます。

 県立熊谷農業高校は明治35年、「埼玉県立甲種熊谷農業学校」として創立されました。その後、「埼玉県立熊谷農学校」を経て、現在の県立熊谷農業高校に繋がります。10月に創立120周年記念式典が行われたばかりです。

 県立深谷第一高校は明治41年、「深谷女子実業補習学校」として創立されました。その後「深谷実科高等女学校」「埼玉県深谷高等女学校」と変わり、戦後は「埼玉県立深谷女子高校」となりましたが、昭和51年に現在の県立深谷第一高校となり、共学化されました。

以上が埼玉県ではもっとも歴史が古い、明治時代創立の学校です。

 次回は大正時代創立の学校を見て行きます。

 

 

 

(教育ジャーナリスト 梅野弘之)

=「埼玉新聞社 高校受験ナビ」オリジナル記事=

 

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