埼玉新聞社 高校受験ナビ

【埼玉県公立高校の歴史を紐解く】第4回 昭和時代(戦後)創立編

2022年11月21日配信

学制改革で新制高校が誕生

 高校の歴史を紐解くシリーズの第4回は昭和時代(戦後)編です。
 戦後もすでに77年を経過しており、これをひとまとめに語るのも難しいので、前半を戦後復興期から高度経済成長期まで、後半を第二次ベビーブームに対応した高校急増期までと二つの時期に分けて見て行きます。
 今回は、昭和20年から昭和43年までです。

◆戦後の学制改革
 戦後のさまざまな改革の中で、学校制度は「6・3・3・4制」となり、戦前の旧制中学校や高等女学校などは3年制の新制高校となりました。
 したがって、この後創立された学校は、最初から高等学校としてのスタートとなります。

 下表は現在の校名で表記しています。

※2022年11月現在、現存する埼玉県公立高校のみ記載

 

◆分校からのスタート
 県立岩槻高校は昭和23年、「県立春日部高校岩槻分校」としてスタートしましたが、昭和37年に岩槻市に移管、さらに昭和41年に埼玉県に移管され県立岩槻高校となりました。
 県立小鹿野高校は昭和23年、「県立秩父農業高校(現在の秩父農工科学)小鹿野分校」としてスタートし、昭和28年に現在の県立小鹿野高校となりました。普通科校から総合学科校となったのは平成15年です。
 県立大宮中央高校は昭和23年、「県立浦和高校通信教育部」として設置され、昭和38年に「県立浦和通信高校」となりました。(筆者の高校時代、浦和高校の敷地内に別棟の校舎があったのを記憶していますが、通信制の意味を理解していませんでした)。その後、昭和62年に県立大宮工業高校が移転した跡地に移り、県立大宮中央高校となりました。
 県立皆野高校は昭和41年、「組合立秩父東高校皆野分校」として開校しましたが、その後、県立皆野高校として独立しました。秩父東高校(女子校)は明治時代創立編でも触れましたが秩父農工高校との統合により現在の秩父農工科学高校につながっています。皆野高校は令和8年度に、秩父高校との統合が予定されています。
 県立鴻巣女子高校は、「県立鴻巣高校・女子普通科東校舎」として設置されていましたが、昭和41年に分離独立し、現在の鴻巣女子高校となりました。遡れば戦前の「鴻巣実科高等女学校」、さらには大正時代の「私立鴻巣裁縫女学校」の歴史をありますが、同校としては、鴻巣高校から分離独立した昭和41年を開校年としています。
 
◆町立が始まりだった蕨
 さいたま市立大宮北高校は昭和31年、「大宮市立高校」としてスタートしました。その後、「埼玉県大宮北高校(埼玉県とありますが県立という意味ではありません)」、「大宮市立北高校」と変わり、平成13年に三市合併に伴いさいたま市立大宮北高校となりました。
 県立蕨高校は昭和32年、当時の蕨町が設置した「埼玉県蕨高校」としてスタートしましたが、翌昭和34年に埼玉県に移管され県立蕨高校となりました。
 県立上尾高校は昭和33年、上尾町・桶川町・伊奈村による「学校事務組合共立上尾商業高校」としてスタートしました。普通科と商業科の二科体制というのは現在と同じです。その後、昭和35年に埼玉県に移管し県立上尾高校となりました。
 次の3校は、創立以来、校名を変えず現在に至っています。今後はこうした学校が増えてきます。
 県立草加高校は昭和37年に、県立朝霞高校は昭和38年に現在と同じ校名でスタートを切りました。
 さいたま市立浦和南高校は昭和38年、「浦和市立浦和南高校」としてスタートし、その後、三市合併により、さいたま市立浦和南高校となりました。
 現在埼玉県内には、さいたま市に3校、川口市と川越市に各1校、計5校の市立高校があります。このうち市立浦和・市立川越・川口市立の3校は、浦和・川越・川口と同名の県立高校があるため、それと区別するため校名に市立を入れて呼ぶのが普通ですが、浦和南・大宮北の2校は同名の県立が無いため、市立を付けず、単に「浦和南」「大宮北」と呼ぶことが多いようです。
 
◆高度成長を支えた工業高校
 1950年代中ごろから約20年間を戦後の高度経済成長期と呼びます。家電や自動車、機械など製造業では多くの人材を必要としたため、それに応える形で工業高校が次々に作られました。
 戦前までに川越工業、大宮工業、川口工業の前身となる学校が創立されていましたが、昭和36年から41年までの6年間に新たに5つの工業高校ができました。
 県立浦和工業高校は昭和36年、現在と同じ校名でスタートしました。当初は電気科のみでしたが、後に機械科・設備システム科・情報技術科が加わりました。令和8年度には県立大宮工業高校との統合が予定されています。
 県立狭山工業高校は昭和37年、現在と同じ校名でスタートしました。機械科から始まり電気科、後に電子機械科が加わりました。
 県立久喜工業高校は昭和38年、現在と同じ校名でスタートしました。当初から工業化学科を設置していましたが、化学系学科があるのは同校と川越工業だけです。
 県立春日部工業高校は昭和39年、現在と同じ校名でスタートしました。当初は機械科と建築科でしたが、後に電気科が加わりました。機械科と電気科は現在全ての工業高校に設置されていますが、建築科があるのは東西南北各地区に1校ずつです。
 県立熊谷工業高校は昭和41年、大正時代創立編で紹介した「熊谷商工高校」から分離独立する形で始まりました。機械科・電気科・情報技術科・建築科に加え土木科があります。土木科があるのは同校のみです。

 県立いずみ高校は昭和37年、「県立与野農工高校」として創立されました。その名の通り農業・工業の専門高校ですが、平成11年に現在のいずみ高校に改編・改称されました。入試では生物系、環境系のくくり募集となっていますが、入学後は希望に応じて農業系4学科、工業系2学科のうちから専攻学科を選びます。
 
 次回は昭和時代のうち、昭和44年以降を紹介します。生徒急増期を乗り切るため、非常に多くの学校が新設されます。

 

(教育ジャーナリスト 梅野弘之)

=「埼玉新聞社 高校受験ナビ」オリジナル記事=

 

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