築いた伝統を継承
選手たちに未来をつなぐ
今年の春季県大会で聖望学園高などの私学勢を破って4強入りした市川越高は、川越商高時代の1989年夏に初めて甲子園に出場した伝統校だ。新井清司氏(66)から引き継いだ室井宏治監督(42)は「伝統校でプレッシャーはあるけど、就任して(体制を)大きく変えようとは思わない」と前監督が築いた伝統を継承している。
新井清司氏(右端)から市川越高を引き継いだ室井宏治監督(中央)=14日、市川越高校
◆熱血指導で汗
銚子商高(千葉)出身。進学した城西大で主将を務め、2001年の明治神宮大会で準優勝に貢献した。卒業後、市川越で非常勤講師を経験し、23歳で羽生実高の監督に就任。部員は9人しかいなかったが、「一生懸命やる子がいるから熱が入っていた」と熱血指導で夜遅くまで練習に明け暮れていた。7年間務めた後、鷲宮高を経て、19年に非常勤講師以来となる市川越に戻った。
◆「よろしくな」
一方で新井氏(当時監督)は、17年の秋季関東大会後から高校野球に熱が入らなかったという。「なぜか燃えるものがなくなった。後任が見つかるまで続けるつもりでいたけど、信頼できる室井先生が来たから引き継いでもいいと思った」と明かす。一度は区切りと考えていた20年夏の埼玉大会が中止となり、21年夏の勇退を決意。そして、迎えた埼玉大会。2回戦で豊岡高に延長十一回の2―3で敗れた試合の後、新井氏が「よろしくな」と新監督に監督章を渡し、バトンが引き継がれた。
◆地道に実直に
今年の6月14日、同校のグラウンドには2人の姿があった。
最前線に立って指示を出す指揮官は「天才肌の新井先生をまねすることはできない。地道に実直にやるしかない」と選手と一緒に汗を流していた。その傍らで新井氏は「室井先生がよくやっているから、選手が調子を崩している時に声をかけるだけ」と、時折、投手陣にアドバイスを送る。
「目指すのは甲子園しかない」と初めての夏に向けて力を込める指揮官には夢がある。「選手の全員が少年野球の指導者になってもらいたい」。その理由について、「野球の人口が減っている。選手たちが大人になった時、高校野球の楽しさを伝えて野球の裾野を広げてもらいたい」。伝統を何十年先につなぐため、未来を担う選手たちを育て続ける。
=埼玉新聞2022年6月26日付け9面掲載=
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