埼玉新聞社 高校受験ナビ

市制100周年 新たな歴史<上>川越工業高校

母校のため肝据える
伝統の重み感じ初の夏へ

ともに川越工高OBで熊沢光氏(右)から母校を引き継いだ荒木良仁監督=13日、川越工業高校

 

 第104回全国高校野球選手権埼玉大会が7月8日に開幕する。市制施行100周年の川越市に所在し、ともに甲子園出場経験がある川越工高と市川越高が、新監督で初めての夏を迎える。前監督からバトンを引き継ぎ、チームをけん引する両校の監督を紹介する。

 2度の甲子園出場を誇る川越工で、熊沢光氏(63)から継承したのが荒木良仁監督(46)だ。「もう一度甲子園に近づけるチームにしたい」とOBでつないだ伝統を大切にする。

 

◆約束と決意

 高校時代は同校で新井孝監督(現川越総合高)の下で汗を流した。指導者になることを恩師と約束し、国士舘大へ進学。だが、自由な大学生活に明け暮れて野球から離れ、教職員免許を取得せずに大学を卒業した。
 一般企業に就職したものの、夢を追う友人たちの姿に「自分は何をやりたいのかな」。考えた末、再び指導者を目指した。恩師に約束を守れなかったことを直接謝罪。こっぴどく叱られて決意を固めた。
 2年間務めた会社を退職し、通信制で商業科の教
員免許を取得。非常勤講
師を経て、34歳で商業科の教諭として赴任した所沢商高で部長を4年間務めた後、川越総合で監督に就いた。

◆執念で転任

 監督として腰を据え始めた一方で、川越工の熊沢氏(当時監督)が定年退職を迎えて後任がいない状況を知った。「OBでつなげられるなら、つなげたい」。熊沢氏に相談し、母校に戻りたい気持ちは伝えるものの、問題があった。
 商業科の教員採用のため、工業高校の同校には転任できず、思いをかなえるには教諭の職務を補助する実習助手の道しかなかった。給料が減額する上に採用試験は不定期という壁にぶつかった。
 だが思いは通じ、2020年6月に採用募集が発表された。仕事の合間を縫って毎日6時間勉強し、10月の試験に無事合格。そして、家族の理解もあり、21年に実習助手として母校に戻った。この姿に熊沢氏は、「母校のために決心してくれたからには、早くキャリアを積ませてあげたい」と同年夏に勇退し、後を託した。

◆あふれる愛と夢

 新指揮官が掲げるスローガンは「愛と夢があふれる川越工業野球部」。この理由について指揮官は、「選手たちが大人になった時でも、チームと仲間を愛し、夢を持ってもらいたい」と明かす。そして、母校の指揮官として初めて夏を迎える。「伝統の重みを感じるけど母校で野球ができることは幸せ」と喜びをかみ締め、川越工の新たな歴史の一歩を踏み出す。

 

=埼玉新聞2022年6月25日付け7面掲載=

 

サイト内の

川越工業高校の基本情報は→こちら

カテゴリー

よく読まれている記事

最新の記事

TOP