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【埼玉県公立高校の歴史を紐解く】第5回 昭和時代(高校急増期)創立編

生徒急増で新設校が続々誕生

 高校の歴史を紐解くシリーズの第5回は昭和時代(高校急増期)編です。
 昭和40年代後半から50年代にかけて新しい高校が続々誕生しました。戦後2回目のベビーブームが到来したことや、高校進学率の上昇により、既存の高校だけでは需要をまかないきれないことから大量の県立高校が作られました。後に触れますが、県内の私立高校の多くもこの時期に誕生しました。

 

◆県知事を二人輩出した不動岡高校
 突然ですが、埼玉県知事の話です。
 現在の大野元裕知事は戦後7人目となりますが、それ以前の6人のうち、県内高校出身者が2人います。そして、その2人は共に現在の不動岡高校出身です。
 一人は昭和31年から47年まで4期16年務めた栗原浩知事、もう一人は昭和47年から63年まで5期20年務めた畑和(はた・やわら)知事です。栗原知事は旧制の私立埼玉中学校、畑知事は旧制の不動岡中学校出身ですが、いずれも現在の不動岡高校につながる学校です。
 さて、その畑和知事時代、県立高校が爆発的に増えました。畑和知事は、高校大量新設を選挙公約に掲げていました。

◆校舎は同一設計、校名は東西南北
 これまで、このシリーズでは明治以来80年の歴史をたどってきましたが、その間に創立され今もなお存在する高校は約60校です。
 ところが、今回紹介する昭和44年から63年までの20年間に、実に80校近くの高校が誕生しています。80年かけて60校だった高校が、わずか20年で2倍以上に膨れ上がったのです。学校新設の勢いがいかにすさまじかったかが分かります。
 皆さんは高校を訪問する中で、校舎の作りがよく似ている(と言うより全く同じ)学校に出会ったことがあるかもしれません。それらは、昭和40年代後半から50年代にかけて作られた、いわゆる「新設校」です。たくさん作るためには建設コストを抑える必要があり、設計を統一したのです。
「新設校」の校名は、「市町村名+東西南北」が一般的です。それまでは、浦和西・大宮北・浦和南ぐらいしかありませんでしたが急増します。市町村名を冠した高校がなければ、そのまま校名とし、すでにあればそれ以降は東西南北を割り振りました。校名を考える時間コストも抑えたようです。ここからは創立年代順よりも地域や市町村に注目して見て行きます。

【東部地区】
 越谷市には昭和44年、県立越谷北高校ができました。歴史の古い越ヶ谷高校を抜いて地域トップ校に成長しました。次いで昭和49年に県立越谷南高校、同54年に県立越谷西高校、同57年に県立越谷東高校ができました。同じ市町村内に東西南北すべての県立高校が揃っているのは越谷市だけです。なお、同61年に県立越谷総合技術高校もできていますが、これについては後述します。

 草加市にはすでに草加高校がありましたが、昭和51年に県立草加南高校、同55年に県立草加東高校、同58年に県立草加西高校ができました。

 春日部市には春日部高校、春日部女子高校、春日部工業高校がありましたが、昭和52年に県立春日部東高校が加わりました。また、現在は春日部市となっていますが、庄和町には昭和55年、県立庄和高校ができました。

 久喜市には久喜高校、久喜工業高校がありましたが、昭和62年に県立久喜北陽高校ができました。当初は普通科と情報処理科でしたが平成7年に県内初の総合学科校となりました。また、現在は久喜市となっていますが、鷲宮町には昭和53年、県立鷲宮高校ができました。開校以来「わしみや」と称していましたが、平成23年以降は「わしのみや」と称しています。

 三郷市には昭和50年に県立三郷高校、同55年に県立三郷北高校ができました。また、同60年には県立三郷工業技術高校もできました。工業高校の中では唯一「工業技術」と称している学校です。
 八潮市には昭和48年に県立八潮高校、同59年に県立八潮南高校ができました。なお、両校は令和8年度に統合され新校となります。

 杉戸町には杉戸農業高校がありましたが、昭和52年、県立杉戸高校が加わりました。
羽生市には羽生実業がありましたが、昭和51年、県立羽生第一高校が加わりました。なお、年表にはありませんが同市には昼夜間定時制の県立羽生高校があります。同校は戦後すぐ「県立不動岡高校羽生分校」としてスタートしています。
 また現在の県立誠和福祉高校は昭和45年、「県立不動岡女子高校」としてスタートし、その後、社会福祉科を設置すると共に「県立不動岡誠和高校」と改称、さらに平成20年には県立騎西高校と統合される形で現校名となりました。校地は羽生市と加須市にまたがっています。
 そのほか、白岡市には昭和52年に県立白岡高校が、松伏町には同56年に県立松伏高校が、宮代町には同57年に県立宮代高校が、それぞれできました。これにより、東部地区のすべての市町村に県立高校が揃いました。ただ、今回の年表には蓮田市と吉川市の学校がありません。これについては次回に触れる予定です。

【西部地区】
 川越市には川越高校、川越女子高校、川越工業高校、市立川越高校(旧川越商業)がありましたが、昭和50年に県立川越南高校、同54年に県立川越西高校、同58年に県立川越初雁高校ができました。

 所沢市には昭和49年、県立所沢北高校ができました。歴史のある所沢高校を抜いて地域トップ校に成長しました。同54年に県立所沢西高校、同55年に県立所沢中央高校もできました。
 昭和44年には県立所沢商業高校ができました。現在、校名に「商業」が付く学校は6校ありますが(岩槻・熊谷・深谷・浦和・大宮・所沢)、戦前にできた学校が多く、「商業高校」としては最後にできた学校です。
 
 新座市には昭和48年、県立新座高校ができました。同58年に県立新座総合技術高校もできましたが、これについては後述します。

 狭山市には狭山工業高校がありましたが、昭和57年に県立狭山清陵高校ができました。同60年には県立狭山経済高校もできました。狭山経済高校は、商業系の専門高校ですが商業科はありません。

 坂戸市には昭和46年に県立坂戸高校、同54年に県立坂戸西高校ができました。

 和光市には昭和47年、県立和光高校ができました。同62年に県立和光国際高校もできましたが、これについては後述します。なお、和光高校と和光国際高校は令和8年度に統合されます。

 そのほか、越生町には昭和47年に県立越生高校が、志木市には同49年に県立志木高校、日高市には同49年に県立日高高校が、富士見市には同51年に県立富士見高校が、飯能市には同53年に県立飯能南高校が、朝霞市には同54年に県立朝霞西高校が、入間市には同58年に県立入間向陽高校が、鳩山町には同58年に県立鳩山高校が、それぞれできました。

【南部地区】
 旧浦和市(現さいたま市)には、昭和53年に県立浦和北高校、同58年に県立浦和東高校ができました。県内唯一の看護科がある県立常盤高校は、昭和45年の開校時は「県立常盤女子高校」でしたが、平成15年に共学化され現校名に変りました。
 旧大宮市(現さいたま市)には、昭和51年に県立大宮武蔵野高校、同55年に県立大宮東高校、同57年に県立大宮南高校ができました。
 旧岩槻市(現さいたま市)には、昭和56年に県立岩槻北陵高校ができました。同校は令和8年度に県立岩槻高校と統合される予定です。

 川口市には、昭和49年に県立川口北高校、同53年に県立川口東高校、同59年に県立川口青陵高校ができました。

 川口北高校ができた同49年には所沢北高校と越谷南高校、翌50年には川越南高校と熊谷西高校ができるなど、この2年間は後に人気校となる学校が集中しています。なお、同63年に県立鳩ヶ谷高校(当時は鳩ヶ谷市)ができていますが、これについては後述します。

 上尾市には、昭和52年に県立上尾南高校、同58年に県立上尾橘高校ができました。
 桶川市には、昭和47年に県立桶川高校、同55年に県立桶川西高校ができました。
 戸田市には、昭和55年に県立南稜高校ができました。今回紹介している「新設校」は、すべて学校名に地名が入っていますが、唯一地名を冠さなかったのが南稜高校です。ほかに地名が入らない学校としては、進修館高校・いずみ高校・誠和福祉高校・芸術総合高校があります。常盤高校は開校時、旧浦和市常盤にありました。

【北部地区】
 熊谷市には、昭和50年に県立熊谷西高校ができました。熊谷市には明治時代創立の熊谷高校、熊谷女子高校をはじめ熊谷農業高校・熊谷商業高校・熊谷工業高校など学校が揃っていましたが、普通科共学校はありませんでした。また、同54年に県立妻沼高校ができました。大里郡妻沼町は平成17年に熊谷市と合併しました。

 そのほか、深谷市には昭和49年に県立深谷高校、北本市には同50年に県立北本高校ができました。

◆伊奈学園など新しいタイプの学校
 ここまで見てきた「新設校」は、その大部分が普通科共学校でした。
 しかし、昭和58年から59年あたりで大量新設時代は一段落し、それ以後は教育内容など特色を前面に打ち出した学校が作られました。
 昭和58年に県立新座総合技術高校、同61年に県立越谷総合技術高校ができました。両校は、工業・商業・家庭という三分野の専門学科を持つ学校です。
 昭和59年に県立伊奈学園総合高校ができました。全国初の総合選択制普通科高校として創立された同校は、埼玉県内のみならず日本全国の教育関係者から注目を集めました。広大なキャンパスは東京ドーム約3個分。施設・設備の充実ぶりは県内でも群を抜いています。
 昭和61年に県立大宮光陵高校ができました。普通科と芸術系専門学科が併設されている、非常にめずらしいタイプの高校です。
 昭和62年に県立和光国際高校ができました。全国初の国際高校として創立された同校ですが、当初は普通科・外国語科・情報処理科の三科体制でした。情報処理科は平成23年に普通科に学科転換する形でなくなりました。
 昭和63年に県立鳩ヶ谷高校ができました。普通科と、農業系の園芸デザイン科、商業系の情報処理科が併設されています。結果的には同校が、統廃合を伴わない昭和最後の新設校となりました。

 次回は平成時代を紹介します。爆発的に増えた「新設校」ですが、平成元年をピークに以後は生徒減少期に移行していったため、統廃合により生まれ変わる学校が増えていきます。

 

 

(教育ジャーナリスト 梅野弘之)

=「埼玉新聞社 高校受験ナビ」オリジナル記事=

 

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