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熊谷空襲 痕跡たどるー熊谷女子高校

高校生らに「平和のバトン」

 1945年8月14日夜、米軍の焼夷(しょうい)弾で市街地の3分の2が焼失し、266人が亡くなった熊谷空襲への理解を深めてもらおうと、市民団体「熊谷空襲を忘れない市民の会」は17日、熊谷市内で「熊谷空襲戦跡巡り」を開催した。県立熊谷女子高校日本史部の生徒ら約20人が参加。77年前に熊谷で起きた戦災の痕跡をたどり、戦争の悲惨さを知るとともに先人から「平和のバトン」を受け取った。

 

岡安隆哲住職(右)から熊谷空襲で焼けた戦災ケヤキ(中央)について説明を受ける県立熊谷女子高校日本史部の部員たち=17日午後4時ごろ、熊谷市鎌倉町の石上寺

 

 同市桜木町の市立熊谷図書館に集合した参加者は、郷土資料展示室で大井教寛学芸員(48)から熊谷空襲の概要について説明を受けた。45年8月14日午後11時半ごろ、米軍のB29爆撃機約80機が熊谷に飛来し、約8千発の焼夷弾が投下され、約3千人が負傷したことが紹介された。
 参加者は最初に同校を訪問。同校は空襲で被災して焼失したが、現在の北門は当時南側にあった正門を移築したもので、シンボルの「鈴懸(すずかけ)の木」と同様に戦火をくぐり抜けた。その後、中央公園にある平和の鐘や戦災ケヤキ、中家堂の石灯籠、空襲を免れた熊谷聖パウロ教会や熊谷(ゆうこく)寺、厄よけ平和地蔵を見て回った。
 同市鎌倉町の石上寺では、岡安隆哲住職(77)が空襲で焼けて黒くなった戦災ケヤキをはじめ、顔が焼けた秘仏の弘法大師仏像や瓦も特別に披露。「弘法大師像は先代の住職である父が炎の中からはいつくばって持ち出した。父からの遺言で、『熊谷が空襲に遭った生き証人で、絶対に直してはいけない』と言われた」と語った。参加者は星川通りにある戦災者慰霊の女神像や身代わり地蔵も見学した。
 参加した同校2年生の女子生徒(17)は「埼玉で空襲があったことを初めて知った。平和の時代を生きているので、戦争は身近ではなかったけど、暮らしの中には残っていることを実感した」。同校2年生で同部部長の出川葵さん(17)は「まだ戦争の爪痕が残っていることを強く実感した。若い世代は戦争を経験していないからこそ、学ぶべきだと思う」と話した。
 熊谷空襲があった45年8月14日に生まれた同会の米田主美代表(77)は「熊谷空襲を知らない人も増えているので、若い人たちに平和のバトンを渡したい。当時の人に思いを巡らせて、今日見て思ったことを忘れないでほしい」と話していた。

 

=埼玉新聞2022年9月19日付け14面掲載=

 

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