埼玉新聞社 高校受験ナビ

【埼玉県公立高校の歴史を紐解く】最終回 平成創立編

時代は少子化へ、統廃合が進む

 高校の歴史を紐解くシリーズの第6回は平成創立編です。
 県内の高校受験生は平成元年度にピークを迎えましたが、その後は徐々に減少に向かいました。それに伴い、平成20年以降は「統廃合(とうはいごう)」が進みました。複数の学校や課程を合併したり、廃止したりすることで学校数を減らす動きは令和に入った現在も続いています。

◆初の芸術系専門高校
 平成12年、美術科・音楽科・映像芸術科・舞台芸術科の4つの芸術系学科からなる専門高校として県立芸術総合高校が誕生しました。芸術系専門学科を有する公立高校としてはすでに大宮光陵高校などがありましたが、普通科が併設されていました。同校のように普通科を置かない芸術系のみの専門高校は全国的に見ても非常に稀な形です。
 同校の校地には、昭和59年創立の「県立所沢緑ヶ丘高校」がありました。普通科の学校でしたが、これを全面的に学科転換して生まれたのが芸術総合高校です。

◆「総合」の意味はいろいろ
 前述の芸術総合高校をはじめ、校名に「総合」を冠する学校がいくつかあります。それぞれ意味合いが異なるので、簡単に整理しておきます。
(1)「総合選択制」
 伊奈学園総合高校は「総合選択制」というシステムを採用しており、そこからのネーミングですが、同校は普通科高校です。
(2)複数の専門学科
複数の専門学科を併設しているという意味で「総合」を冠しているのが、新座総合技術高校、越谷総合技術高校、芸術総合高校です。
(3)「総合学科」校
 普通科、専門学科に次ぐ第三の学科として平成6年に「総合学科」が生まれました。県内でもいくつかの学校が普通科や専門学科から学科転換しました。
「総合学科」校であることを表す意味で「総合」を冠しているのが、川越総合高校、滑川総合高校です。なお、「総合学科」校であったり、「総合学科」を設置していたりしても、校名に「総合」が付かない学校もあります。

◆統合を機に「総合学科」へ
 以下は、平成に誕生した「総合学科」校です。
 普通科や専門学科から学科転換しました。

 平成17年、県立滑川総合高校が誕生しました。共に昭和51年創立の「県立滑川高校」と「県立吉見高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧滑川高校です。
 平成20年、県立寄居城北高校が誕生しました。校名にはありませんが「総合学科」校です。昭和37年創立の「県立寄居高校」と同52年創立の「県立川本高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧寄居高校です。
 平成25年、県立幸手桜高校が誕生しました。昭和16年創立の「県立幸手商業高校」と同55年創立の「県立幸手高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧幸手商業高校です。旧幸手商業高校からの伝統で、商業系に特色があります。

◆単位制・定時制による「総合学科」
 平成の後半になると、単位制・定時制による「総合学科」という新しいタイプの学校が誕生しました。夜間のイメージが強い定時制ですが、新たに生まれた定時制には昼間課程もあるのが特徴です。

 平成17年、県立戸田翔陽高校が誕生しました。昭和39年創立の「県立戸田高校」と、「浦和商業高校(定時制)」、「与野高校(定時制)」、「蕨高校(定時制)」の統合という形で生まれました。所在地は旧戸田高校です。昼夜三部制・単位制の「総合学科」校です。
 平成20年、県立狭山緑陽高校が誕生しました。昭和40年創立の「県立狭山高校」と、「川越高校(定時制)」、「豊岡高校(定時制)」の統合という形で生まれました。所在地は旧狭山高校です。昼夜二部制・単位制の「総合学科」校です。
 平成22年、県立吹上秋桜高校が誕生しました。昭和55年創立の「県立吹上高校」と、「鴻巣高校(定時制)」、「熊谷女子高校(定時制)」、「深谷商業高校(定時制)」の統合という形で生まれました。所在地は旧吹上高校です。昼夜二部制・単位制の「総合学科」校です。県内公立では唯一、秋季入学の制度があります。
 平成25年、県立吉川美南高校が誕生しました。昭和46年創立の「県立吉川高校」と「草加高校(定時制)」の統合という形で生まれました。所在地は旧吉川高校です。Ⅰ部とⅡ部がありますが、Ⅰ部はさらに全日制と定時制(昼間)に分かれます。Ⅱ部は定時制(夜間)です。

◆消えゆく学校、生まれ変わる学校
 平成20年以降も統廃合は続きますが、この時期の特徴は、高校急増期である昭和40年代後半から50年代にかけて創立された「新設校」同士の統合であるという点です。
 
 平成20年、新たに3つの学校が誕生しました。
 県立上尾鷹の台高校は、昭和54年創立の「県立上尾沼南高校」と同49年創立の「県立上尾東高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧上尾沼南高校です。
 県立鶴ヶ島清風高校は、昭和57年創立の「県立鶴ヶ島高校」と同53年創立の「県立毛呂山高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧鶴ヶ島高校です。
 県立新座柳瀬高校は、昭和54年創立の「県立新座北高校」と同52年創立の「県立所沢東高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧新座北高校です。

 平成22年には2つの学校が誕生しました。
 県立栗橋北彩高校は、昭和50年創立の「県立栗橋高校」と同49年創立の「県立北川辺高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧栗橋高校です。旧北川辺高校の跡地は現在、私立の開智未来中学高校となっています。
 県立蓮田松韻高校は、昭和48年創立の「県立蓮田高校」と同41年創立の「県立菖蒲高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧蓮田高校です。

 平成25年には、県立ふじみ野高校が誕生しました。昭和53年創立の「県立大井高校」と同48年創立の「県立福岡高校」の統合という形で生まれました。所在地は旧大井高校です。旧大井高校時代にあった体育科はそのまま引き継がれ、現在はスポーツサイエンス科となっています。

 なお、上記5校のほか、昭和53年創立の「県立入間高校」は県立豊岡高校に、同52年創立の「県立本庄北高校」は県立本庄高校に、それぞれ統合されました。
旧本庄北高校の跡地は、私立・本庄第一中学高校の中学校校舎となっています。

 統合というと企業で言う対等合併をイメージしますが、実際には一方はそのまま募集を続け、もう一方は募集を停止するという形をとっています。所在地に残っている方が存続した学校で、もう一方は事実上の廃校ですが、卒業生やその他関係者への配慮もあり「廃校」という言い方はしません。

◆不動岡高校の分校たち
 前項に登場した「県立菖蒲高校」と「県立北川辺高校」には前史があります。「県立菖蒲高校」は不動岡高校の「菖蒲分校」、「県立北川辺高校」は「北川辺分校」としてスタートしました。
 また、「羽生分校」は県立羽生高校(昼夜定時制)となり、「騎西分校」は「県立騎西高校(後に不動岡誠和と統合)」となりました。現在の誠和福祉高校も不動岡高校敷地内に仮校舎をおき「不動岡女子高校」としてスタートしています。
 県内最古の学校らしく多くの学校の生みの親となりました。

◆川口の市立3校が統合
 平成30年、「市立川口高校」、「県陽高校」、「川口総合高校」の市立3校が統合され、川口市立高校となりました。所在地は旧川口総合高校です。
 3校のうち歴史的にもっとも古いのは「川口総合高校」で、昭和4年に「川口実科高等女学校」としてスタートし、「市立川口女子高校」を経て、平成9年に共学の総合学科となりました。「県陽高校」は昭和17年、「川口実科工業学校」としてスタートしました。「市立川口高校」は昭和31年、「川口商業高校」としてスタートし、後に普通科を設置しました。 
 話題を集めた新校舎は、総事業費約200億円と言われています。理数科の設置、併設中学校の開設、スーパーサイエンスハイスクール指定などで注目度はさらにアップしています。

 川口市が3校統合を決断したのは財政上の理由が大きいと考えられます。人口約60万人を数える県下第二位の都市であっても市立高校3校の維持は相当に難しいことです。かつて熊谷市にも昭和38年創立の「熊谷市立女子高校」がありましたが、平成20年に閉校となりました。
 さいたま市には昭和37年創立の「市立大宮西高校」がありましたが、平成31年に完全中高一貫の大宮国際中等教育学校になりました。

 以上、駆け足で埼玉県内公立高校の歴史をたどってきました。
公立の統廃合は令和に入った現在も続いていますが、ここで一旦終了し、次回は私立高校の歴史を振り返ります。

(教育ジャーナリスト 梅野弘之)

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